キッズデザイン・ラボ

Vol.05

子どもにとって安全な環境を作る取り組みを

「子供の事故・傷害に関する意識調査」より
平成21年初頭 実施

「事故予防」から「傷害予防」へ 重要な視点の転換

私たちが行った今回のアンケート調査では、子どもの事故に対する一般的な意識も尋ねました。たとえば、「いわゆる『事故』は予防できない」と思うかどうか、または、「いわゆる『事故』は前もって予測できる」と思うかどうか、といった質問です。すると、下のグラフに示す通り、回答者の78.2%が「予防できないと思う」と答え、61.6%が「予測できないと思う」との答えでした。

ところが、「日本では、年間1000人以上の子どもが『不慮の事故』(ケガ、溺れ、誤飲、窒息など)で亡くなっています。こうした、死亡に至るような事故は予防することができる」と思うかどうか、も尋ねたところ、73.2%が「予防できる」と答えたのです。

デザイン賞 キッズデザイン・ラボ01

「いわゆる事故は予防できると思わないが、死亡に至るような事故は予防することができると思う」、一見矛盾しているようにも思えます。でも実はこの回答パターンは、傷害予防の問題における重要なパラダイム・シフト(見方、取り組み方を根本から変えること)と一致しているのです。

すなわち、WHO(世界保健機関)をはじめ、ケガの予防に取り組んでいる専門家や研究者にとって、この問題は「事故予防」ではなく、「傷害予防」なのだという点です。事故(アクシデント)は、どんなに注意をしていても起こるものです。どんなに注意して歩いていても、つまずいて転ぶのはおとなも子どもも同じ、また、どんなに注意して車を運転していても「うっかり」事故を起こすことはあります。人間の注意力が完璧ではなく、人間の反射能力がスーパーマン並みでない以上、事故は起きてしまうでしょう。

だからといって、「事故は起きてしまうもの」と諦めるわけではありません。事故は起きてしまっても、事故の時に起こる「傷害(ケガ)」を軽くすることはできます。事故が起きても、それによって死亡や重傷、後遺障害を残さないようにし、入院しなくてもすむようにする。それは可能であり、そのための努力をすべきなのです。

傷害を予防・軽減する、その一番わかりやすい例は、車のエアバッグやシートベルトです。エアバッグやシートベルトは事故を防いではくれません。でも、衝突が起きた時の衝撃を和らげ、車内の人が外へ飛び出してしまうのを防ぎ、傷害の程度を軽くするのに役立ちます。それと同じように、たとえば炊飯器やポットの改良によって、出てくる湯気の温度を低くすれば、子どもがもし触れてしまっても「熱い!」と感じるだけで、やけどはしなくてすみます。また、遊具の置かれている地面がコンクリートであったならば起きてしまうような脳しんとう等のケガも、地面が衝撃吸収ゴムであれば十分に防ぐことができるのです。

同じアンケート調査の別の質問で聞いた結果から、回答者の半数程度は、日本の平均的な家屋環境、または家庭内の製品は子どもにとって危険な部分があると感じています(下図)。命にかかわるような危険を取り除き、安全性を高めることで、これまでなら子どもが亡くなってしまっていたようなケースをもっと軽傷のものにしていく、または予防することが必要です。

デザイン賞 キッズデザイン・ラボ02

子どもの命を守る―保護者、社会の意識変容も不可欠

ここまで、環境や製品を安全にすることを通じて子どもの傷害を減らす、軽減する重要性を述べてきました。しかし、社会心理学の側面からみると、保護者の意識や行動、社会全体の意識も傷害予防では不可欠になります。今回のアンケートでは、従来から「子どものケガ」について言われてきたことがどれほど信じられているのかも調査しました。「子どもはケガをすることで、予防や危険について学ぶ」または「安全にしすぎると、危険に対応できなくなる」といった、よく耳にする意見にどれほど回答者が同意するかをみたのです(下図)。

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すると、「身のまわりの危険について学ぶ」「ケガの予防方法について学ぶ」「安全にしすぎると子どもの対応能力が下がる」のいずれも、ほぼ8割の回答者が「そう思う」と回答しました。

確かに、ひやりはっとの経験から子どもが学ぶことはたくさんありますから、発達心理学の観点からすれば、小さなすり傷、切り傷程度は子どもにとってあたり前と考えて、いろいろな経験をさせることが必要です。しかし、お子さんがケガで亡くなってしまったら、または脳外傷で寝たきりになってしまったら、遊ぶこともできず、学ぶこともできません。
子どもの学びとしては、「あちっ」や「痛いっ」といった軽いもので十分。やけどや骨折は不要です。死亡や重傷、後遺障害を起こすような危険を取り除いた環境で、子どもが(小さなケガをしつつも)自由に遊ぶことができるようにすることが私たち、おとなの責任なのではないでしょうか。

図に示したように、子どもの傷害予防対策を行う際には、上に述べた2つの事柄を明確に区別する必要があります。すなわち、命を危険にさらすことなく活発に遊ぶことができる環境と、命を落としかねない(そして、子どもには対策の取りようがない)ハザードがそこここにある環境の明らかな違いです。子どもたちが暮らす環境、身のまわりにある製品には、ありとあらゆるものにハザード(危険)が内在しています。家の中にある段差も、キッチンの引き出しも、車も、実はどれもハザードです。しかし、ハザードの中には、曝露した時に重篤な傷害を引き起こす深刻なものとそうではないものがあります。段差もキッチンの引き出しも車も、子どもに重篤な傷害を引き起こさないデザインに変えることが(たいてい)可能です。その努力をした上であれば、子どもがハザードに曝露しても、結果はすり傷、切り傷程度ですむことがわかり、安心して子どもたちを自由に遊ばせ、さまざまなことに挑戦させることができるようになるのです。

保護者、企業、社会全体で取り組む「キッズデザイン」

ただ、このように「子どもにとって安全な環境を」と言うと、多くの方から「保護者の責任はどうなるのか?」「子どもの安全は保護者の責任だ」という疑問をいただくのも事実です。言うまでもなく、私たちは「保護者(またはその他の監視者)がまったく見ていなくても安全な環境」を作ろうとしているわけではありませんし、実際それは不可能でしょう。すでに述べたように、子どもの傷害予防は環境・製品面のハザード除去と、周囲の監視という両輪から成り立つのです。

実際、西欧文化に比べると、日本は子どもを一人の人格としてみなすのではなく、親の所有物と考える傾向があるようです。そのため、欧米では明らかに虐待・ネグレクトとみなされる行動も日本では甘く扱われ、周囲も見て見ぬふりをするケースが多々あります。家に子どもを一人で置いて外出する、車内に置き去りにする等がこれにあたりますし、小売店や公共施設で子どもが親の監視を離れて勝手にしていても気にしないケースも、結果によってはネグレクトと考えられます。

子どもから24時間365日、目を離さずにいることは不可能ですが、「不可能=見守らなくてもよい」ではありません。子どもは自分自身の命を持った人格であり、健康に発育していく権利を有しています。保護者だけでなくすべてのおとな、そして社会全体が一丸となって、子どもにとって安全な環境を作っていく、そして、その中で子どもたちが自由に活発にからだを動かし育っていく、それが社会全体としての「キッズデザイン」が目指すゴールなのだと考えています。

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<著者のプロフィール>
掛札逸美(かけふだ・いつみ)
1964年生まれ。
筑波大学卒業後、(財)東京都予防医学協会広報室に勤務。
健康心理学をきちんと学ぼうと考え、2003年、コロラド州立大学心理学部大学院に入学するが、留学から半年後のある日、横断歩道を自転車で渡っていて車にはねられ、中等度脳外傷を負う。
「ヘルメットをかぶりなさい」と教授やまわりの人から言われていたにもかかわらず、なぜ自分はかぶらなかったのか– ケガの次の日から、健康心理学の中でも傷害予防と安全の心理学を特に専門とするようになり、今に至る。
2008年5月、博士号(心理学)取得(コロラド州立大学大学院)現在、産業技術総合研究所デジタルヒューマン研究センターに勤務。
子どもの傷害予防工学カウンシル(CIPEC)メンバー。