キッズデザイン・ラボ

子どもにずっと注意を向け続けることは、できますか?

「安全な製品・環境」と「人間の注意」は車の両輪

前回述べたように、今回の調査で用いたようなケガの場合、環境や製品の改善・改良によって子どものケガを防ぐことはむずかしく、保護者が努力して防ぐべきだと多くの人が考えていることが明らかになりました。言うまでもありませんが、私たちは、「保護者や周囲のおとなが注意していなくてもよいよう、環境・製品を完全に安全にしよう」と言っているわけでも、そのような環境・製品が可能だと言っているわけでもありません。製品・環境を安全にすることと、人間が気をつけることは、あらゆるケガ予防の車の両輪です。

ただし、私たちの生活環境の中には、人間の力では防ぎようがなく、人間に死亡や重傷などの深刻な影響を及ぼす危険がたくさんあります。たとえば、輸入おもちゃに使われていて問題になった鉛はその典型例です。鉛が含まれていても、おとなにも子どもにも見えませんが、健康に悪い影響を及ぼします。一方で、自動車も、私たちが毎日使う包丁やハサミも死亡や重傷をもたらす可能性のある危険です。

1)3歳児のAは、家の近くにある公園の中を走りまわっている時、勢いあまって転びました。転んだ際に手をつき、小指の骨を折りました。 2)3歳児のBは、家の中で家事をしている親を追いかけていく時、閉まるドアに指をはさまれ、小指の骨を折りました。 3)1歳児のCは、親がほんの少し目を離した間に、低いテーブルに置いてあった炊飯器の蒸気口にさわりました。水ぶくれができる程度のやけどをし、病院に行きました。

環境の中にある危険を管理するもっとも効果的な方法は、「危険を取り除くこと」です。おもちゃの鉛の場合は、鉛を使うのを禁止するーこれが一番有効で、ほぼ唯一効果的な方法でしょう。同じような例には、たとえば、遊び場の遊具を定期的に点検し、破損した部分を補修する、老朽化した部品を取り換えるなどがあります。子どもに「遊具が壊れているかもしれないから、注意して遊びなさい!」と言えないことは、おわかりいただけると思います。

しかし、危険そのものを取り除くことは不可能な場合もあります。たとえば、自動車の場合、「危ないから使用禁止!」とはなりません。車によって起こる危険よりも車の有用性のほうが上回っているからです。そこで、メーカーは自動車をより安全にする努力をしてきました。たとえば、エアバッグ、シートベルト、チャイルドシートなどは、人間が危険(例:衝突)に直面した時の悪影響を最低限にするべく、デザインされた道具です。危険そのものを取り除けない場合、人間への影響を最低限にする対策を立てよう、これが第2の方法です。遊び場のブランコのまわりに柵を作って、子どもたちがブランコの揺れている範囲内には入らないようにする、というのもこの方法に入ります。

とはいっても、2番めの方法の多くは、人間が意識的に使わないと効果がない、という種類のものです。エアバッグは衝突の際、自動的に出てきますが、シートベルト、チャイルドシートは自動的に人間を守ってくれるものではありません。ブランコのまわりの柵も、乗り越えようと思えば、乗り越えられてしまいます。また、ナイフやハサミのように、危険を承知で使わなければならない製品もたくさんあります。そこで、第3の方法、「人間が意識して行動する」が必要になるのです。ここには、「シートベルトやチャイルドシートを使う」のほかに、「子どもに注意をしている」「子どもをしつける」も入ります。また、製品に「警告!」「注意!」等を付けて注意を喚起するのも、この方法です。

安全を考える時の原則は、一番上の方法から始め、1番めの方策が尽きた場合には2番めに、そしてさらに、2番めが尽きたら3番めを使う、あるいは2番めの補完として3番めを使う、というものです。人間が意識できる範囲を超えた危険がある場合、危険そのものを取り除く努力をしないで、「保護者(おとな)が注意して子どもを見ていればよい」というのは、こうした原則に反していることになります。

特に、子どもについて考える場合、成長・発達の途上にある子どもの特徴を考える必要があります。子どもが住んでいるのは、「おとながおとなのために作った世界」です。その世界の中で、目に映るもの、さわるもの、聞こえるものすべてが、子どもにとっては興味を引く遊び道具なのです。そして、小さい子どもは、どんなものにでもさわってみたい、どんなものでも口に入れてみたい、といった発達過程を通り過ぎていきます。その過程の中で、子どもに「身のまわりの危険に注意しなさい!」と言っても無駄なことは、火を見るより明らかです。「子どもに『誤使用』はない」、そう考えて、子どもの命やからだに深刻な影響を及ぼす危険を製品や環境から取り除く必要があるのです。

子どものケガ予防は、保護者とメーカーが同じように努力を

前回、炊飯器についてお話ししましたが、「子どものやけどを防げるような炊飯器を開発してほしい」という願いと同様、今回のアンケートで使ったもうひとつのケガ、「家の中のドアで子どもが指をはさむ」についても、「もっと安全にしてほしい」「安全にできるのでは」という意見が多く聞かれました。

下のグラフで示すように、「自分自身の工夫で、ドアの子どもの指はさみをなくすことができる」と答えた人は75.6%にのぼっています。一方、指はさみをなくすような改良、小物などの開発を「できると思う」と答えた人は90.8%、開発を「するべきだ」と答えた人も86.0%です。「開発できる」「すべき」と答えた人の割合は炊飯器の場合よりも高く、「ドア」というどこにでもある環境要因については、保護者とメーカー、デザイン側が同じように努力すべきであり、努力できるはずだという意識を示していると言えるでしょう。上で述べたように、環境・製品からできるだけ危険を取り除く努力と、生活の現場で保護者やおとながケガを防ぐ工夫や注意をすることは、やはり「車の両輪」なのです。

今年のキッズデザイン賞では、パナソニックと三菱電機がそれぞれに開発した、「湯気の出ない炊飯器」が受賞をしました。私たちにとっては長い間、「炊飯器は湯気が出てあたりまえのもの」でした。そのため、「湯気が出ない炊飯器を作ることは難しいのだろう」と思いこみ、前回お話ししたように、「やけどをしない仕組みの炊飯器」への期待は、75%(開発できる)、65.9%(開発すべき)と「安全なドア」よりも低かったのかもしれません。しかし、湯気の出ない炊飯器は開発できること、湯気が出ないことで安全なだけでなく、ご飯もよりおいしく炊けることが、今回のキッズデザイン賞を通じて多くの消費者に伝わりました。わが国のメーカーに対する評価とともに、安全面での期待もこれから次第に上がっていくことでしょう。

「見守ればいい」と「見守れる」の大きな違い

子どものケガというと、「親が注意して見ていれば防げたのに」と言われることが往々にしてあります。世界保健機関 (WHO) が昨年出した『子どもの傷害予防報告書(World report on child injury prevention)』も、「傷害予防における見守りは重要性である」と述べています。しかし、その一方で同報告書は、「見守りについては、その言葉の定義を含め、科学的な研究がほとんどなされていない」と、見守りについてきちんと研究することの重要性を指摘しています。

「見守り」の定義はとりあえずおいておくとして、見守ることで子どものケガは予防できるのでしょうか? さらに、保護者(おとな)が子どもをずっと見守っていることは可能なのでしょうか? 今回のアンケートでは、その点についても聞いてみました。3種類のケガそれぞれについて、「注意して見ていれば予防できたと思う〜思わない」という質問とともに、回答者が自分自身で見守りをできると思っているかどうかを尋ねたのです。結論から言えば、どのケガも「注意して見ていれば予防できたと思う」ものの、自分自身で「見守り」や「子どもへの言い聞かせ」をできるとは思っていないという矛盾した結果が出たのです。

まず、「見守り」で防げたと思うかどうかを尋ねた質問です。「公園で走り回っていて転び、小指の骨を折った」状況については、半数を下回る41.1%の回答者が「見守りで防げた」と考えています。この状況は、親が見ていてもなかなか防げるものではないということなのでしょう。一方、「家の中のドアで指をはさみ、骨折」と「炊飯器の湯気でやけど」については、74.2%(ドア)、75.2%(炊飯器)が「見守りで防げたと思う」と回答しています。

では、実際に「見守れる」のでしょうか? 下のグラフに見るように、「見守れる」と答えた人は、21.2%(公園)、19.2%(屋内)に限られています。全体の8割が「子どもにずっと注意をしていることは、自分にはできない」と感じているのです。「見守りで防げる」と思いつつも、「自分にはできない」。それが正直な感覚なのでしょう。
また、下の2番目のグラフのように、「自分は、子どもに言い聞かせることができる」と思っている人も少数派です。

心理学の視点からみると、なにかの行動を「できると思うかどうか」は、「すべきと思うかどうか」よりもずっと重要です。つまり、「〜すべきだ」と思っていても、実際にできないのではどうしようもないからです。すべきだと思っていながら実際にはできない、そういう心理状態に置かれ続けると、人は次第に無力感を感じ始め、取り組もうという意欲を失っていくのです。たとえば、保護者が「子どもがケガをしないよう、私がきちんと見守っていなければ」と思っていながら、次第に「見守っていられない自分」に気づいていく、あるいは、一瞬目を離したすきに子どもがケガをしてしまう現実を経験していくことは、「見守り」に対する意欲、ひいてはケガ予防への意欲すら次第にすり減らしていってしまうことにつながりかねません。

今回明らかになった「すべき」と「できる」の間の差は、現時点で保護者に課せられている傷害予防の重責を示しているとも言えましょう。冒頭でお話しした通り、傷害予防は、環境や製品から危険そのものを取り除く努力、環境や製品に残る危険から人を守る努力、そして、保護者などによる注意の努力という3つの柱からなっています。本来、大きな柱となるべき最初の2つが、わが国ではまだ端緒についたばかりであることから、傷害予防の責任は保護者が負っているのが現状です。保護者が注意すべき点、できる点はたくさんありますが、「なにもかも保護者のせい」という風潮があまりに強いと、「どんなことなら、本当に保護者にできるのか」「どんなことを保護者はすべきなのか」が見極められず、結局、「私にはなにもできない」という気持ちになってしまいかねません。そうした悪循環を断つためにも、メーカー、商品デザイン、医療、保護者、そして社会のすべての人が協力して子どもの傷害予防に取り組んでいくことが重要なのです。

<著者のプロフィール>

掛札逸美(かけふだ・いつみ)
1964年生まれ。
筑波大学卒業後、(財)東京都予防医学協会広報室に勤務。
健康心理学をきちんと学ぼうと考え、2003年、コロラド州立大学心理学部大学院に入学するが、留学から半年後のある日、横断歩道を自転車で渡っていて車にはねられ、中等度脳外傷を負う。
「ヘルメットをかぶりなさい」と教授やまわりの人から言われていたにもかかわらず、なぜ自分はかぶらなかったのか-- ケガの次の日から、健康心理学の中でも傷害予防と安全の心理学を特に専門とするようになり、今に至る。
2008年5月、博士号(心理学)取得(コロラド州立大学大学院)現在、産業技術総合研究所デジタルヒューマン研究センターに勤務。
子どもの傷害予防工学カウンシル(CIPEC)メンバー。

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